おかんのりんごと、おとんのキウイ。
私の父は4年前の1月に他界しました。
葬儀も終わり、1週間ほど経って、母も少し落ち着きを取り戻してきた様子を感じて、
姉二人とそれぞれの家に戻ろうか、と話しをしていた時でした。
母が一言、「あなたたちが戻る前に、お願いがあるの。
そこにあるりんごの皮をむいて、食べやすい形に切って、お皿の上においてくれないかしら」と。
母は昔から、りんごが大好きです。
今では、少し不自由になったカラダのために、その大好きなりんごを、皮をむことも、切ることも、
上手にできなくなってきています。
父が生きていたときは、父がその役目をしてくれていたのです。
両親二人、実家に残してそれぞれの家で生活している私たちにとって、それは何気ないお願いでも
あり、とても重いお願いでもありました。
家に戻って、その話を妻にすると、
あなたの会社で、お母さんがいつでも食べられるりんご作れるんじゃないのって。
ドライフルーツにすれば、いつでも食べることができる、りんごが出来ます。
ドライフルーツは、乾燥食品の中では定番中の定番商品。
ウチのような後発メーカーでは、大手のメーカーと対等に戦うことはできないと、
全くつくることを考えていませんでした。
はじめから、商売になる商品だけをつくろうと考えていたのです。
商品は、商いのできる品、と書きますが、それだけを考えてモノづくりをしていたことを恥じた
瞬間でもありました。
誰か食べてくれる人がいる、その顔が見えるだけで、つくる価値があり、つくるべき商品では
ないかと。
私のつくった、りんごのドライフルーツ 、母に食べてもらいました。
これで、皮むきをお願いしなくてもよくなったわね、そう言って笑う母は少し安心しているよう
にも見えました。
そして思い出したのです。
キウイが好きだった父のこと。
生きていたら、きっと、きっと、と思い、つくって、仏前にお供えしました。
美味しく食べてくれているかな・・・
ドライフルーツの最初は、おかんのりんごと、おとんのキウイから始まったのです。
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